国内市場
中古車情報によると、当時の台湾の国民所得は1人あたりわずか150ドル程度であり、国内市場は非常に小さかったそうです。
それゆえ裕隆汽車は会社創立後、独占時代の10年を経過した段階でも年間生産台数は依然として1,000台に達しておらず、生産能力も1万台に満たなかった。
一方、日産自動車との提携契約の中にあった5年以内の完全な技術的自立という目標も1962年には60%、79年には70%の自製率へと現実的に修正・変更せざるをえませんでした。
そして、日本から輸入される部品への依存度は依然大きく、自製率100%の実現はきわめて困難な課題でした。